2010/07/25

Badenweiler バーデンヴァイラー

古代遺跡の残る温泉場。バーデンバーデンよりも
さらに小さい田舎町。




 ドイツにはBadenバーデンと名前のついた地名があります。これは、もともと天然の鉱泉水が湧き、そこに湯治場を作ったことに由来します。


 たとえば、バーデンヴァイラーという村がフライブルクから南へ車で30分ほど離れたところにあります。紀元後75年、鉱泉の沸くこの地にAqua Villae アクア・ヴィッラ(水の都)という名前のローマの地方保養所が作られました。現代のバーデンヴァイラー(温泉地の村落)という名前も、この古いローマの名前から付けられたと考えられています。

  • ローマ時代のお風呂。それはったいどういったものだったのでしょうか?
 古代においてお風呂にはいる文化は、ただ体をきれいにするだけでなく、病気治療の効果を狙ったものでした。 古代ギリシアのバレイオンという発汗浴の流れを汲んでおり、 温水浴と冷水浴を交互に繰り返す方法です。


  1. まず、アポディテリウム(脱衣所) には、長椅子やロッカーのような棚があり、ここで来訪者は洋服を脱ぎます。お金もここで払いました。
  2. 裸になったら、木のサンダルを履いて、手に亜麻布を持ち、体を洗うためにフリギダリウム(冷浴室)へ行きます。施設の中でも比較的大きな部屋で、冷たいプールがありました。
  3. 体を清めた後は、泉水盤のあるテピダリウム(微温浴室)へ。熱い部屋と冷たい部屋を区切るための場所で、だいたい20度~25度くらいに調節されていました。ここにはマッサージをしたり、オイルを体に塗るため、寝椅子などが置かれています。
  4. 温泉場の中央には40度くらいのお湯の浴槽がいくつか置かれた、カルダリウム(温水浴室)が設置されていました。床下暖房で、50度くらいに室温が保たれ、床は57度に。そのため、木のサンダルは必需品です。
  5. 体が熱さになれたところで、ラコニクム/スダトリウム(カルダリウムよりも熱い発汗室)へ。スチームサウナやミストサウナの部屋で、冷たい水の浴槽もありました。丸い天井のある小さな部屋で、椅子か、ニッチ(壁にうがたれた半円形の出窓のような部分)に腰掛けます。
  6. 十分に体が熱くなったところでテピダリウム(微温浴室)へ戻ります。
  7. 最後に冷たいプールのあるフリギダリウム(冷浴室)で寛ぎます。カフェのように机や椅子、ボードゲームなど娯楽グッズが置かれていました。
  8. 外には運動場もあり、医者が待機する医療室や飲食店、トイレなども設置されています。

                 








 ただお風呂に入るというだけでなくマッサージや様々な運動、エステサロン、軽い軽食などを楽しみました。 日本の銭湯というよりも、どちらかというとスポーツセンターや健康ランドに似ています。施設の中は、温風や温水を床下に配水管を通してめぐらせた温風暖房が行われ、施設の外には、遊歩廊や図書館、プールなどが併設されていたのです。


  • ローマ文化?なぜイタリアだけでなくドイツの南部、どうしてこの地にローマ時代のお風呂があるのでしょう?
 それは、イタリアから離れ、プロヴィンキアと呼ばれた属州に移り住むローマ人達も、この公共浴場を好んだからです。現在残っている遺跡の多くは、主に軍隊の駐屯地であったり、天然の鉱泉を利用した保養施設の跡地であったりします。


 もともとケルト人の居住地をローマ軍が制圧し、紀元後70年ごろ皇帝ヴェスパシアヌスの治世化、ライン川の東側からドナウ川にかけてローマ化されるようになります。75年には、水の都と名づけられた属州の町を作り、湯治場テルメ・アクア・ヴィッラTherme Aquae Villaeを作りました。軍の兵士や将校、退役軍人、役人や商人、地主などのためです。


 
 この遺跡から、ケルトの森の女神Abnovaアブノヴァとローマの狩りの女神 ディアナDianaが合祀された珍しい碑文が見つかっています。そこからこの地ではケルトとローマ、二つの宗教と文化が融合していたのだろう、と考えられています。


  • この遺跡は古代ローマから現代までずっと使われていたのでしょうか?
 残念ながらそうではありません。ローマの浴場文化はヨーロッパにおいて6世紀までのゲルマン大移動によって一度失われます。ゲルマン民族はお風呂にはいる習慣を好まなかったのです。230260年ごろこの地を征服したドイツ人の祖先アルマネン達によって、テルメ・アクア・ヴィッラは破壊され、周辺の施設やローマ式の建物などもほとんど残りませんでした。以後、この地は中世を通して顧みられることはなかったのです。
 この遺跡が発掘されたのは近代の医療、科学の進歩のおかげでした。 清潔で健康的な社会生活が常識化される中で、天然の鉱泉を利用した湯治場バーデン・ヴァイラーが再び生まれたのです。そして1784年にバーデン公カール・フリードリヒ・フォン・バーデンによってテルメ・アクア・ヴィッラも発掘され、現代の温泉施設の隣に貴重な文化遺産として一般公開されています。


 現代の温泉、カシオペイア・テルメには実はまだ入ったことがないのですが、古代の遺跡は2回ほど訪れました。フライブルクからの日帰り旅行先として、おすすめな素敵な場所の1つです。

        

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